愛ダケじゃ、育たない。

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行動から動機や思考を読む

どちらかと言えば、息子に対する療育ではなく。
療育する側(親側 の療育=思考訓練に近いかもしれない。
 
「アタシ、アンタのママやねんで!?」と、子どもが発する矛盾に叫び出したくても、
ぐっと堪えて、感情に流されそうになりながらも、冷静に客観視する。

母の日であったが。
 
ウレシ涙で笑顔イッパイ!や、愛らしい仕草に日頃の頭痛の種を忘れたり。
出来れば、ぎゅぎゅぎゅと抱きしめられる、せめて余裕が欲しい母の日。
 
2週間前、息子に、「母の日って知ってる?分かる?」と聞いた。
息子はそっけなく、「うん、知ってる!」とだけ答えたが。
「ママ、何が欲しい?」でもなく、「ママ、何して欲しい?」もない。
その代わり、
「母の日だから、息子一人で電車のって、デパート行って、買い物していい?」と聞く。

この文脈から考えるに、
「母の日」=「特別な日」の認知は出来ている様子だが、
そこに、イチバン大切な部分、相手のために何かをしてあげる日、または。
相手の思っている、考えている何かのために自身が動く、といった思考は見当たらない。

息子は年少から始まり、集団生活の中で三度の母の日を体験している。
園から持ち帰る、設定保育の中で作成されたそれらは、もう、可愛くて可愛くて。
 
あどけない筆致で書かれた「ママの顔」や拙い手先で折ったであろう折り紙の赤い花。
年長にもなれば、たどたどしい平仮名の「まま、ごはんつくってくれて、ありがとう」だ。
毎年、感涙とともに
「こちらこそ、ママの子どもになってくれて、ありがとうね…ウッ(泣」なんて、
言葉の裏にあるハズの「ママ、大好き」の基本を想像しながら、息子を抱きしめてきた。

…が、今年。
 
「…デパート行って、何買うの?」と聞けば、
「うーん、行ってから考えようかな?」と答える。
「母の日だよ?」と言えば「うん、知ってるから!」と少し憤慨。
「…一人で行くの?」と聞けば、
「だから、電車も一人で乗って、デパートに行きたいから!」と不満顔。
「…で、何買うの?」としつこく食い下がれば、
「うーん、買わないかもね~、お金がなくなっちゃうからね~」と。
 
どうやら設定保育で作成され、手渡された愛しいアレコレは。
皆が作ってるから、流されて(または先生の指示があったから 
「おかあさん、ありがとう」の形式としては認知があるけれど、
その内容までの理解は全く出来ておらず。
特別な日だから、という建前を持ち出し、自身のやりたい事の実行に直結している様子。
 
一人で電車でデパートだと?
「ママ、ありがとう」どころか、「ママ、おつかれさん」だろ。
オマケに、お金がなくなるから、買わないだと?
追跡させられた上に、ママへのご褒美もあらへんの?!
 
…どうにもオカシイ。
一体どうやって、この、建前があれば(理屈が適っているなら 道理が引っ込む といった、
社会では到底通用しないであろう理解を払拭できるのか。
 
まさか息子に直接、
「デパートってアンタが一人で行ける距離でもないし、行ったとしてもその場合、
 事故の心配とかさせられながらママが尾行って形になるし、第一、買い物って、
 何階が何売り場って分かってる? 漢字はまだ読まれへんやろ?
 …んでデパート商品の貨幣単位知ってる? つか、トイレの場所だってどうすんねん!」
グルグルしパニック同様の私の思考が喉元を過ぎ、口からでないようグッと飲み込み。
 
「デパートは遠いからねえ~、じゃ、近くのスーパーにお使いしてもらおかな?」と一言。
そう、一言だけ発するのが、これほど苦痛だったことはない。
だけど、いずれこれらも儀式の内容、詳細を教えなければならない部分。
 
息子は母の日の一連をみても、オリジナリティーだとか、発想や着想部分に関してのみは、
我が子ながらスゴイやん!と思うことが多い。
だけど、儀式や手続き、段取りのマニュアル化に意味があるのではなく、
なぜ、それを行うか、なぜ、その段取りが必要か、の逆思考が必要になると同時に、
一連の流れと、本質の内容を理解していなければ、結局、自分さえよければいい、になる。
 
特別な日=自分にとっての特別な日として捉えるのではなく、
もちろん、それを行うには、自分にとっても特別な日になるのだけれど、
そこに心を奪われてしまうと、本末転倒で、
相手にとって、特別な日を作ってあげられる人になって欲しいから。
 
ピンチによって、またチャンスをもらえたような、そんな母の日。
夕食は、パパ作シーフードカレーと、息子作のオリーブオイルドレッシング野菜サラダ。
後片付けも二人で全て終え、幸せな一日を頂きました。
 
療育のチャンスはいつでも転がっている。
さしずめ、次回のチャンスは6月の父の日。
今回の母の日の教訓を活かし、レッツチャレンジ。
 
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コメント


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こんにちは!ウチもよく似てるかも。母の日のお花を買っているとき、義母のお花も頼んでいたら、おばあちゃんはママのママじゃない。と怒り出しました。母の日にお母さんにお花をあげるのは知ってるようです。が娘ちゃんもママにあげる日やねんでと言ってみたら、こんなに小さいのに一人で買いにいけって言うの?それにお金もないのに?怖いおじさんとかおるかもしれんのに?ママは、それでいいの?と怒られました・・・

どうしてこうなる?(笑)

当日、高熱の娘は、ぼそっと、母の日なんて関係ないわと・・・気にはなっているようでした。

父の日はママが一緒にやってあげられるし、教えやすいですよね♪

ウチはその前に私の誕生日があるのですが・・・どうなるんだろ?いつも通り自分でご馳走作るのかな?

いろどりママ | URL | 2011年05月10日(Tue)09:47 [EDIT]


いろどりママさん

こんにちは!

>おばあちゃんはママのママじゃない。と怒り出しました。
 
そうそう、自分の知識以外の何かを知ったときの抵抗って、息子にもすさまじいものが(汗
 
>こんなに小さいのに一人で買いにいけって言うの?それにお金もないのに?怖いおじさんとかおるかもしれんのに?ママは、それでいいの?と怒られました・・・どうしてこうなる?(笑)
 
いわゆる屁理屈ですよね、ウチも似た感じ(滝汗
言ってる内容は正しいのだけど、ストレートにしか受け取れておらず、新しい提案をすんなり
受け容れられない。一事が万事そうだと、親はすごく疲れんねんな~。
 
> 父の日はママが一緒にやってあげられるし、教えやすいですよね♪
> ウチはその前に私の誕生日があるのですが・・・どうなるんだろ?いつも通り自分でご馳走作るのかな?
 
ママのお誕生日も、クローバーちゃんにお祝いして欲しいなあ~、なんて催促してみては
どうでしょうか?私も父の日、「誰かのために」を息子と一緒に考えながら教えたいな、と思ってます。

ママ | URL | 2011年05月16日(Mon)08:33 [EDIT]


 

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