愛ダケじゃ、育たない。

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行政が違えば、恩恵も違う

大阪では発達障害の傾向 (言葉が出ない 他 があれば、
区内で療育を行っている、専門施設を紹介される。
 
ことばが出ないなら、「ことばの教室」 
多動傾向があるなら、「幼児教室」 等など。
 
が、ここでは。

 
息子が以前、通っていたのは、「幼児教室」
区役所で、一定の曜日に母親と一緒に (もちろん兄弟児も一緒可 
役所内の一室で、無料で、児童相談所の先生が2名ついて。
皆で一緒に体操をしたり、(当然、親も 笑 絵本を読んでもらったり・・・。 
いわゆる幼稚園に入る準備みたいな事を、週に一度、1時間半してくれていた。
療育というワケでなく、専門の「○○療法士」さんが常駐してるワケでもない。
だけど、担当の先生と若いサポート役の先生と、二人で。
毎週、毎週、額に汗して、息子達 5~6人 (多い時は、10人近く を、
「はーい、次はママと、手ぇ繋いで~」 「音楽に合わせて、歩くでぇ~~?」
「音楽が早くなったら、速く歩くねんで?」 なんて、いわゆる療育の基礎をやっていた。
 
「手を繋ぎ、真っ直ぐ一緒に歩く」が可能になったのは、この教室のおかげやと思ってる。
音楽に合わせて、早いテンポ遅いテンポで、速く歩いたり、ゆっくり歩いたり・・・。
お友達と手を繋ぎ、輪になって楽しげな音楽と共に、大きな輪になり小さな輪になり。
子供達は、それは楽しそうに、決して広くはないその一室で、はしゃぎまわっていた。
トランポリンが登場する日もあったりして、息子もとても楽しみにしていた。
 
親達は、それぞれ話をしたり、子供の相手をしたり・・・、じーっと子供を観察する親も。
だけど、決して窮屈で畏まった場所ではなく、実にノビノビと。
たまに脱走する子供を捕まえに走ったり、急に「ぎゃあああああ!」と、
そっくり返って叫ぶ、子供のパニック声以外は、実に平和だった。
 
こちらにも当然、それがある物と思いこんでおり、あらゆる公的窓口で幾度も尋ねた。
だが、返答は、「こちらでの行政は一切、行っておりません」 であった。
予算の都合なのだろうか・・・?
窓口の話では、民間の療育機関へ児童ディサービスを通して、との話に終始し、
行政で何かを行っている、といった話は一切出ない。

乳幼児健診、世界で一番の組織と実施を誇るこの国の、政令指定都市になった、この街が
発達障害の傾向を見つけても、民間に委託するだけか、と思うと釈然としない。
 
こちらには、自閉傾向専門機関がある。
スペクトラム上の発達障害を全て庇いきれるであろう、国内でも屈指の機関。
そちらに、全てお任せって、意味なんやろか・・・。 
でも、それやったら、とても理解がある街とは、言われへんやん?
だって、親からすれば、そこに通う事になるって事は。
もしかして、傾向ってダケで、もう少し様子をみたら、定型のグラフにのるかも・・・。
なんて、甘い期待はブチ切られるんやから。
 
実際、2~3歳児の子供って、発達がマチマチで(いわゆる個人差 
それっぽいけど~、でも、幼稚園入ったら、心配する程でもなかった、アハハ。
みたいな話も良く聞く。
だけどコッチでは、イキナリ、母業2年目、3年目あたりに。 
「あ~、ちょっとココに通いながら様子見ましょうか~」 なんて言うのに。
日本屈指の自閉症専門機関の名称を出すんかい?
心療クリニックの予約を入れろ、とでも言うんかい?
早期介入・早期発見は確かに必要で、それは育てている側にとっても重要だ。
だけど、それの意味する所は、専門機関での療育=親への障害の告知ダケではない。
叩けば言う事を聞く、といった誤った育児法ループに親が陥らないため。
何かが違う?と感じ、戸惑い、悩み不安で混濁した育児を沈静化させるため。
専門機関のドアをノックするまでの、踏ん切りをつけるため。
全く何も気付いてない親に対しての、小さな小さなさざ波・・・。 
専門家を訪ねるまでの、助走期間とでも言えば、理解してもらえるだろうか。
「様子を見ましょう」は確かに不安を煽る言葉の時もある、そして。
「様子を見ましょう」とは、親への配慮としての安堵でもある。
親のわずかな期待、藁にも縋る気持ちの「藁」の代用となるべく場合もある。
 
「こちらに通って少し様子を見ましょうか」 と言われた場合には、やはり何らかの問題を
本児が抱えている場合が多くあったとしても、親としては。
専門機関もしくは、専門外来を尋ねるよう健診時に言われてしまうよりも、 
健診で指摘を受け、個別相談から、レッテルのない集団への移行の方が、
精神的にも抵抗が少なく、早期療育の介入としても試み易い。
 
「障害?いや、まさか・・・」等と思いつつも、紹介されたサークルなり教室なりに通う内、
同じ悩みを抱える母親からの情報から、知らずして「早期療育」を学び、
子に対する関わり方を学術的な見解以外の方法に知り
自ずから、それまでのざわついた気持ちに一区切り付けれる、猶予期間だと思うが。
 
障害がある、ってのは、生涯変わらない。
最初から、瀬戸際に立たされ、突き落とされた気分でスタートを切るより、
知らずして、大海に誘われ泳ぎ始めた方が、後々にまで渡る、
親側の安定と受容を深め、築き易いのではないか、と思うのだけれど。

そうは言っても、発達障害の傾向をチラるかせる幼児のなんと多い事!!
息子の年中1クラス(16名 でも、息子を含め確実に4名は傾向が見られる。
(あくまで素人判断の範疇で、だが。
こちらにきて知り合ったママ達の兄弟児を含めると、10名は下らない。
それでも診断をされている子は圧倒的に少なく、当然だが、
幼児期の早期療育は受けておらず、就学してから問題が噴出している。
現在、年中の彼等が。
親の気付きも、支援もなく、このまま就学し”学習”の日々を送るとなれば。
今以上の”困った気持ち”を学校で抱えたまま、学習に取り組み、自己否定と疎外感を
味わうのではないか、といらぬ心配をしてしまう。
やはり、就学前健診まで(年長時 待って、3歳健診でパスして来た子供達を、
適切な案内と通告を伴って、親と共に大海に送り出す方が賢明なのか。
”困ってる子供”を”個性の強い子”として扱い、小さな社会で切磋琢磨させる方が良いのか。
恩恵というのはあまりにも楽観した言葉だが、息子の通った「幼児教室」で、
確かに息子は成長し、その特性を伴う日常に振り回され疲れ切っていた私には。
不確実性を伴ってはいたけれど、何よりも安心出来る場所であった。
 
続編に続きます。
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