愛ダケじゃ、育たない。

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言葉の発達と聞き取り、過程と猶予

3歳代の息子の言葉、一例。
 
思わず笑ってしまう、いわゆる幼児語もあるが。
笑えない間違いも多く、これが、聞き取りの苦手さか、と知った。

 
「♪ドレミファソラファミレド・ソファミソファミレ、ソファミソファミレ・ドレミファソラファミレド♬」
とても楽しそうな音階つきの、この言葉。
言葉というよりは、音階を発声した音楽だけれど、息子は。 
とても楽しそうな顔で、
「♬ドレミファソラファミレド・ソロリトタベテ・ソロリトタベテ・ドレミファソラファミレド♪」
と、唄っていた。
 
何度、「ソーファミソ、ファ・ミ・レ♪」と教えても、「ソ~ロリト、タ・ベ・テ♪」であった。
この音階を聞いた時、何かを食べている最中だったのか、と思い返してみても心当たり無し。 
結局、ガッツいて食べるより、「そろりと食べた」方が胃にも優しいよな~、と思い。
それ以上は、深追いせず、4歳4ヶ月の今は、音階を外しながらも、発音は確かだ。
3歳代では、一度聞いた曲は忘れず、絶対音感あるかもしれへん、と、
期待が高まった一時期があったのに、今、息子は、
「絶対音感は、絶対ない」と断言出来るほどの歌唱力を発揮している。
  
発語はそれほど遅くはなく、単語も順調に増加したが、構文の構築にまごつきが見られた。
それは現在でも続いており、人称の反転や、
「ねえ、息子ちゃんちに来てあげたら?(来てもらったら?」 等に見られる。
 
テレビを、”テビレ” また、黒子(ホクロを ”ほくろう” といい、釣竿を ”つりざ”と言う。
何度教えても、直らない
聞き取りの練習 (我流で療育 として、CDに録音してある声を (抑揚の無い
二度聞かせた後に 「お母さんが花子さんにお願いされたお手伝いは何かな?」 
私が聞き、息子に口頭で答えさせる形式をとっている。
 
「花子さんは、お母さんにお手伝いを頼まれました。
 お花に水をあげて、新聞をお父さんに、黄色のコップに牛乳を入れて、
 弟にあげてね」 といった課題では、
① お花にお水
② 新聞をお父さんへ
③ 黄色のコップへ牛乳
④ ③を弟に持っていく  となる。
が、息子はお父さんへの新聞を忘れ、コップの色を忘れる。
 
「お花にお水をあげてー、コップに牛乳や・・・」
「え?もう牛乳?」 と言えば、「えーっとえとえと、お父さんにー?」
「お父さんに牛乳? ちゃうか・・・、弟?」
「そやね」 「えーっと、お父さんビールやからね、弟に牛乳!」 となり、
「ほな、花子さんは、お母さんに何をお願いされたんやろね?」 と〆れば、
「お花にお水で、弟に牛乳や!」 となる。
「・・・ほな、お父さんには?」 と聞くと、当然といった顔で
ビールやろ!」 と即答。
この課題文は、状況や背景を重ねての指示を入れておらず、例えば、
「朝のお手伝いです」 の一言が入れば、「お父さんにビール」は無かっただろうと思う。
ワーキングメモリが弱いと言われる、発達障害児だが、朝からビールを飲む父親は、
一度もみていないのだから、タイトルコールとして ”朝のお手伝いです” があれば。
息子は、父親にビールを持っていこう!とは思わない・・・ハズだ。(未試用 
 
が、この流れから、息子がどうやって聞き取った言葉を使い回しているのか知った。
背景とマッチングさせながら、または人物とセットとして覚えている。
4歳半の聞き取りが出来る子供なら、①~④の内容は、ほぼ理解可能だろう。
そして、復唱も実行も可能かと思われる。
だが、この文章が左の耳から右の耳へと脳内に留まらず、流れ出ているように、
最初の頭と最後の尻尾だけを ( お花にお水とコップに牛乳 掴み、
肝心なその中身は、息子の第一声を確認すれば分かるように、抜け落ちている。
指示された内容もあろうが、子供の理解能力は、大体、年齢の数だけが可能になる。
息子は4歳半、ならば一度に4つを記憶し実行可能なハズだが・・・。
セットで覚えている=固定された概念=応用が困難 の図式通りに、
息子のデータでは、パパは毎度ビールを片手に過ごしており、黄色のコップは見当たらない。
  
音楽と言葉ではその認識は変わってくるようにも思う。
息子は日本語の曲を覚えるのが非常に苦手。
けれど、洋楽 (今はABBA は何度か聞けば、そっくりCDの発音通りに歌う。
言葉は4歳程度までが一定の臨界期だと、ある書籍で読んだが、
聞き間違い、覚え間違い、息子のように”釣竿をつりざ””ホクロを、ほくろう”などといった、
認知の領域に関わる内容だと、就学程度までは若干の余裕があると言われた。
校歌を覚えられず、ABBAの曲で過ごす児童期もオツなもんだと今は、余裕がある私。
けれど、これが校歌ではなく、授業中の先生の言葉も同じなのだ、と思うと。
やはり、若干の余裕などと”今”に胡坐をかいてはいれない。


 
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