愛ダケじゃ、育たない。

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親側の能動態と受動態

通所している療育先で、視覚から情報を入れる (画像のみ・SST・コミック会話 
事を、有効として勧められている。
 
もちろん、日常のスキルはあっても、達成出来ない事柄にも、トークン (ご褒美
を使用する事に効果があるとして、本人に有効なトークンを観察し、
日常生活に導入することも勧められているのだが・・・。

息子が2歳半の頃。
カードを使い言葉を引き出していた (息子からの要求を主に
目的地へ行くのを理解させるのにも (見通し 写メで撮った画像を使用
視覚から、息子に安心を与える手掛かりとして、画像を使っていた。
 
結果、どんどん言葉が無くなって。
「んー、んー」 と何かを示唆する時でさえ、視覚で見せろ。
「う、う、う!」 と、思い通りにならない時の 「きいいいい!」が増え、
「トイレー!」の一言でさえ、もじもじした足運びの挙句 「んー!んー!」であった。
 
意思の疎通とは、
息子からの要求→親側の了承
息子からの要求→親側の不承 といった、一方通行で問題ない場合と。
双方向性を求められる、
息子からの要求→親側の不承→息子からの提案もしくは親の妥協案 等
(道を譲るといった形式でなら、通行可能な場面 がある。 
静止した画像や絵で、前者後者共に、ある程度のコミュニケーションは図れると思う。
が、問題は、カードのみでは息子の提案を表現し切れない部分。
 
例えば お友達と一緒に遊んでいる場面で
友達A 「すっげー、見て見て! こーんな大きな穴掘れた!」 に対して。
息子  「うんうん!」 
それでは、その時点での、友達Aに対する気持ち、
または、何に対しての「うんうん!」 なのか伝えきれないだろう、と思う。
好きな絵カードを提示された時、「好き」の絵カードで物体に対する意思は通じるが、
問題は、どれ程、その物質のどこの箇所が好きなのかを伝えられない事だろう、と思う。
  
友達Aには、当然、息子がどんな思いで「うんうん!」 を言ったのか、
親の立場で、一連の流れを見れば、
「おお~、穴の大きさに感動してんな~」 でも、「一緒に作れて嬉かってんなぁ」
とでも、想像しつつ、「うんうん!」を共有してやる事が可能で、そこから、
「そやねー、大きい穴やろ?!」だとか、「一緒に作れて嬉しいなあ!」 でも、
息子の言いたい事の本質を引き出そうと、気持ちに寄り添って代弁する事も可能。
そこから、息子が自分の気持ちを言える支援に結び付けられる。
 
けれど、お友達にそれを求めるのは、どう考えても難しい
息子は本当の気持ちを伝えたい、伝えているつもりで、関わりを続ける。
譲り合いが必要な道幅で、出合った両者が睨み合ったまま、の時。
どちらかが気を利かせて、後退または、率先して誘導を試みる時に。
友達と一緒だと、息子は、常に「後退するように指示をもらう」 か
「気を利かせて、後退してもらう」 になってしまう。
要するにお友達側の対応に従う事で、事故を避けるのである。
そして息子は、「うんうん!」のドコが悪いのか理解しないのでは?と思い、
関わりが深くなるにつれ、共有する時間が濃密になり、「俺達」といった仲間意識が
本能に刺激され強く働く時期になれば、もっと、「解って貰えない」と、知り、また、
関わった相手も (お友達 
「アイツは、なんとなく付き合いにくい・・・」程度の事は認識し始めるだろう。
小学校の高学年程度になると、
リーダーシップが取れるタイプ、縁の下の力持ちタイプ、
知ったから、それじゃ、次はこうしよう、こう言ってみよう、と応用が利くならまだしも。
それは息子にとって、地図上にない道を探すのと同じ、不可能に近い行為。
 
カードを使う事、それは息子にとって。
コミュニケーションを促す行為であっても、それが決して。
コミュニケーションが上達する行為ではない
自発的な感情表現とは、「○○したい」から始まり、「だから工夫を凝らし」「結果を得る」
に至るまでの一連行為そのものだと思う。
息子は「○○しちゃダメ」とお友達に言うこともよくあるが、「されるのがイヤだから○○」
といった、ある意味危機回避する場面が極端に少ない
それは「○○されるから、○○君とは遊ばない」や「○○したら△△になって怖い」
といった、想像性や因果関係の認知に関係しているのだとも思われるが、
自発的な要求がかなり可能になっている今も、要求したその後に連なる、
コミュニケーションそのものが、上達していないと困難な要求を、
とりあえず、「やってみる」→「できたら嬉しい」または、「出来なかったら、泣く」
という選択を用いて、望む結果を避けているようにも見える。
望む結果を得るために必要なコミュニケーションを得られないから、
やってみた結果が望まない結果であったとしても、了承している感じ。
 
「やりたいから、やる」のも確かに感情表現だけど、
「やったら、どうなる」を経験で体験でのみ知る、という道も辛いだろうと思う。
「やりたい」そのものが望む結果である幼稚園時代なら問題も少ないし、
本人のストレスも少ないだろうが、SSTの絵を見て、
「横断歩道は、右見て、左見て、右!」とはっきり口に出すが、その実践には、
程遠い日常を過ごしている息子に、「車に轢かれる経験」をさせる親はいない。
 
こうした実践には、幼い頃からの体験=データを積み重ねるしかないのだと、
療育先の先生は仰るのだが・・・。
今は、車に轢かれるともっともっと痛いよ、ママとバイバイやねんで、と教えるしか
手立てはなく、お友達との関わりについても、「イヤな事を言われたら先生に言う」と
教えるしかない毎日。
傷付かなければ、分からないことも多い、失敗しなければ学べない。
けれどそれは、カードなどでは、表現し切れない膨大なデータと記録になり、
その記録された記憶は、息子の将来を形成する。
 
カードで通じる意思や表現なんて、息子の心の中の、ホンの一部分。
「えーっと、えと、えと、えっとね」から始まる、時間の無駄かとも思えるゆっくりの口調と、
詰まりながらも語ろうしている聞き取りにくい言葉の中にこそ、本心がある。
 
丁寧な子育て (療育においては ってのは、
能動態も必要だけど、受動態を意識する事がめちゃ大事やねんな、と感じている。
 
 
 にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害・自閉症へ     なかなかご訪問に伺えず、ごめんなさい。
                皆さんの記事、読み逃げばかりしています、すみません。

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コメント


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こんにちは!
ウチも予定と着替えの位置とかのみ絵カード(写真)を
つかってます。相変わらず日常はお喋りな娘ですが、
要求のみ言葉をなくすのはあんまり変わっていません。
「あーけーてー」が少し言えるくらいです。
普段自宅では4歳くらいの会話(現3歳)をするのに
何故?って感じです・・・
でもそこではあえて絵カードは使わないようにしています。
言葉がなくなるのが恐いから・・・
でもここ半年でかなり療育教室のおかげもあり「トイレ」も言うようになりました。相変わらず外では
ほとんど発語はないですが、癇癪はだいぶ減った気がします。

その子にあった方法を親が見極め必要なことのみとりいれて、子どもの生活に役立つようしていくことが大切かなと最近思います。

ウチは最近タイマーが活躍しています!

絵カードは写真にしているのですが・・・服とかカードと同じものを探そうとしてなくて癇癪・・・
ちょっと改良が必要みたいです(涙)

いろどりママ | URL | 2009年10月17日(Sat)10:05 [EDIT]


なるほど、です

おじゃまします。
以前、拍手をした者です。
記事を読んで、そうか!と思ったのでコメントしました。
NPOで活動しているとき、社交性を身につけさせたい、というお母様がいらっしゃいました。(その子は自閉症です)
その時、社交性ってなんだろう?と疑問に思いました。
それがきっかけで、チャイルドマインダーという資格を取りました。正直、スッキリとはわかりませんでした。
ママさんの記事をみて、そのお母様が求めている事が少しわかりました。ありがとうございます。

ne-neko | URL | 2009年10月18日(Sun)12:18 [EDIT]


いろどりママさん

タイマーですか!
 
息子はタイマーがどうやら苦手なタイプ(苦笑
あと1分って針の位置で
「どうしよう!どうしよう!」ってプチパニック。
 
子どもの特性に合わせて、とはよく言われる言葉だけど、つくづく「得手不得手」が極端やねんなーと。
同じものを探そうとしてパニックってのは、服だと、
「お着替え形式」にされてみたらどうでしょうか?
昔、紙のお人形に、紙の洋服を、こう~折りしろみたいなのが付いてて~、そこを折り曲げてお人形を着せ変えて遊ぶってヤツの・・・。
 
これやったら、似たようなパターンで色と柄とをチョイチョイ書いて、「本人が好きなパターン」OR「親の好きなパターン」で”選択”させてやれますよ?
 
イチイチ、雑誌の着回し術みたいな組み替えして画像を映さなくても、良いし。園に行くのに制服があれば楽やけど、学校となると私服になるので、今から少しずつ、「着て行っても良い服」を認識させ、尚且つ「選択させる」を試みてる私です、はい。
 
それと要求の言葉ですが、歌にして入れていくと、覚え易いかもしれません。息子は今でも一緒に遊びの輪に加わりたい時には「い~れ~て~」と、音階付きで要求を出してます。(定型の子はね、すでに「あ!オレも!」とかって言うねんけど・・・ね。(汗

ママ | URL | 2009年10月19日(Mon)09:39 [EDIT]


ne-nekoさん

こんにちは。
コメントをありがとうございます。
 
はい、拍手コメントを頂いてます!拍手コメントには、都合上、皆様に返信をしておりませんが、全てに目を通させて頂いてます、ありがとうございます。
 
資格をお取りになったとか・・・。
支援側で目を通して頂いているのですね~!
 
支援してもらってる側では、「こうしたい(希望的提案や理想」は言えても「こうしてください」といった専門的見地に関わる発言がなかなか出来ません。
 
我が子可愛さに、「こうしてくれたら出来たのに!」と言われる親御さんも中にはおられますが、「療育施設内で出来る」というのと、「それ以外の集団で出来る」というのは違うだろう、が本音の私は、療育施設では「出来ない」も経験させ「なぜ出来なくて、どうすれば出来るのか」を専門士が子どもと共に探る、調べて確かめる場面も、必要だと思っています。
 
親の立場から「こうしてくれたら出来た」とは、ある意味で支援士さんへ提案をされているのですが、それがそのまま社会の中で繋がっていう術になる場合とならない場合があるからです。そして、意思の疎通(自己表現 が可能になったとしても、自己を表現するダケの手法を身に付けるだけでは、いつまでも「自己主張のパニック」を繰り返す傾向を続けます。
 
社交性とは駆け引きも指す場合が多いので、こちらは1対1の勝ち負けにこだわりを軽減させるのにも、役に立つと思い、現在、試行錯誤しています。
 
支援士さんは第三者の目を持っておられる数少ない関わりだ、と思っていますので、親の気持ちを汲み取りながらも、第一に子どもの「心」に寄り添い、子どもの代弁者でもあって欲しいと願っています。
 
きっと素敵な支援士さんやと思います。
これからも、ぜひ、専門家からのご意見も遠慮なくお聞かせ下さい!

ママ | URL | 2009年10月19日(Mon)09:58 [EDIT]


 

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