愛ダケじゃ、育たない。

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検査結果と内容と、心構え①

自閉圏に居る子供達は感情の表現が乏しい、と言われる。
だけど、”表現”が乏しいだけで、感情そのものは豊かに思える。
 
息子の場合、困っている時には、笑って逃げる
怒っているとき、怖い時は、奇声を発したり、得意のグルグル&ピョンピョン。
たまに、威嚇するような行動 (ライオンだぞ~、ガオーみたいなポーズ 
を取るときもあるが、その本質は・・・

 
怖いから威嚇しているのではなく、
仲間に入れて欲しいから”威嚇”=注目されたい といった感情が行動の源にある。
先日、4歳になってから行ったPEP-Rの結果が出た。
正式な検査結果を文書として請求をし、丹念に読んだ。
何箇所にも、「不安が強い児」とあった。
 
得手分野では6歳級を難なくこなすが、不得手分野だと3歳のまま。
約1年半年程度の遅れがあり、どうみても個性と言うのには、
幅がありすぎるバラつきが素人の私にでも、理解出来る内容であった。
 
クレヨンで好きな絵を書く指示がある。
「好きな絵を書いてね」 (白い紙とクレヨンを出される
「えーっとえとえと、何しよかな」 (画用紙にさっと手を伸ばすが、書きたい絵に迷う
なにやら書いている最中に、検査官が尋ねる。
「それは何かな?」
「黄色!」 
「黄色の・・・?」
「バナナ!」
 
検査官は、「何色か」とも「どんな絵?」か、とも聞かず、「何かな?」と尋ねた。
こういった場面では、「バナナの絵!」が定型の受け答えであろうが、
息子は躊躇する事なく、使用している色名を答えた。
相手(検査官 の求めている会話(答え を掴みにくいとはこういう事だ。
コミュニケーションが計りにくい、社会性が育ちにくい、といった理由が、
この会話に見える。
こちらに見えているモノ、知りたい事は、「何を描いているのか」だが、
息子にとっては、黄色を使おう!が第一であったのかもしれないし、
黄色を使うためのバナナだったのかもしれない。
けれど、「絵」とは色彩のみを表現する手段ではなく、まずその輪郭を多くは問う
 
「喉が渇いたら、どうする?」の質問では、
「お茶を飲むとか、ジュースを飲むとか、お水を飲むとか・・・、
○○(居住地名 のお水はおいしいね、パパはね・・・(パパがしたお水の話へ移行
などと、質問に求められている回答以外を、延々と話する。
単語に反応するのは (この場合は水  アスペルガーの特徴としてあるが、
幼い頃からの養育歴は、どちらかと言えば自閉傾向が強く、こだわりや儀式的な物に
安心感を見出す傾向も残っており、最終的な(就学前程度 診断名はやはり、
高機能自閉症か、ADHD(注意散漫・多動傾向 となるだろう。
どちらがどう違うのか、と聞かれても上手く説明出来ないけれど、
高機能自閉症とアスペルガー、ADHDなどは、確かにハッキリした違いがある。
モチロン重複する場合も多く、どちらの傾向が強く出ているか、で診断名が決まるのだが。
 
検査の結果。
それに似通った特性ないし、傾向は出るだろう、と覚悟はしていたつもりだが。
年少入園時の(ほぼ2年前 加配申請の為の診断名とは違い、(検査時2歳8ヶ月
4歳を過ぎ、ある程度の知恵と物心がついた、と思われる時期の診断では、
かなり違った重みが伴う。
2~3歳児の頃に見られる、傾向が一時的に過敏さを増した状態での結果ではなく、
確定されたモノとしての再認識を迫られ、2年間の療育と称し、奔走した結果のようで。

「ああ、やっぱり障害があんねんや・・・」 と。
障害はあったとしても、支援校に入学の許可は、まず下りない。
それなら少し変わった子として、普通校で扱われる対象になる。
可能性を切り拓く手立てと、手段と道筋を。
息子に合った、息子に必要な学びと選択肢を、まず私が探らなければ。
 
困った時には、「どうしたらいい?」と聞き、
遊びたいときには、「一緒に、遊ぼ!」 と誘う方法を。
モチロン、断られたときの自分の気持ちの対処方法も加えて。
定型の集団内で関わり、学び、育つしか息子の道はないのだから。
 

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コメント


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先日はありがとうございました

難しいですよね?確かに違いはあるんだろうけど・・・

ウチではアスペとして療育してたのに広汎性?自閉症って何や?そんな人が勝手に決めることで障害児にされてたまるか!ってのが周囲の意見です。

分からなくはない。

けど明らかに人と違うのは皆も気づいている。

だからそれらの対処法を身につけてやろうよ!ってのが
私の意見。

皆は療育のメリットを提示しろとか、そんな過保護に
手厚い環境にいたらもっと駄目になるといいます。

わからなくはない。ないけどいつかは自立してもらうための療育であって、しんどくて身体的不具合を起こす可能性大やのに私は掘り込む気にもなれず・・・

もうワンステップ欲しいんですよね・・・

外野は言いたい放題でいいかもしれない。
だけど実際頑張るのは娘であり、見守り支えるのが家族である。外野には悪いけど耳をかさないことにしました。ただじんわりと知識は掘り込んでいかなアカンなとは思っていますけどね。

診断も言葉があるのになぜ自閉症なんだ?アスペやろとか騒いでますわ・・・

私にとっては、どれも同じ自閉のくくりで、そんな細かい事はどうでもいいことだけど、認めたくない人からしたら気になるんでしょうね・・・

確かに言葉はある。多いくらい。ただ対話となると・・・そとではほとんど話さないし・・・

外で泣くことはまれで娘もずっと笑ってますね・・・

それか、ずっと喋ってる。

初対面のひとに「お名前は?」「お年は?」と聞かれたらちゃんと答える。しかし「お年は?」「お名前は?」
の順だと混乱し応えないか名前→年で応えるかオオム返しをする。

パズルをあてはめるかのような対話。決まった順序でのみ対応。

療育は必要だと思う。

親が子どもにできることは限られているのだから。

いろどりママ | URL | 2009年09月02日(Wed)16:21 [EDIT]


いろどりママさん


> けど明らかに人と違うのは皆も気づいている。
>
> だからそれらの対処法を身につけてやろうよ!ってのが
> 私の意見。
 
そう、明らかに違う。
でも、その違いに応じて(ま、結局オーダーメイドになんねんけど
診断名ではなく、療育そのものに幅を持たせて欲しい。
なんていうのかな~、メガネの度が合ってりゃいいって話ちゃうくて、
度も、ツルのサイズも、鼻当て?の高さ、デザイン・・・。
そういった全てを叶えて初めて、”適性に添った適切な療育”が初めて可能で、
本人に成果なり、可能性なりが導ける・・・、とね。
 
 
> 皆は療育のメリットを提示しろとか、そんな過保護に
> 手厚い環境にいたらもっと駄目になるといいます。
 
> いつかは自立してもらうための療育
 
そやねー。
メリットは伝える手段を示してもらえた本人にしか分からないんちゃうかな?
と思っています。こちらの意思やら指示が入るから、って理由(療育する側の利便性 
は、療育をする上で、大変重要だけれども、メリットではない。
そんなら療育じゃなく、拳で暴力で躾ける方が、ナンボか簡単やし(その場だけなら
悩む事も学ぶ事もあらへん。
 
自立ってのを、子供側で考えたら、メリットの度合いが大きくなるんちゃう?
子供の立場で、子供の2~3年先を「こうなってたら、この子、楽やろな」と。
 
> もうワンステップ欲しいんですよね・・・
 
めっちゃ同感。
パズルのピースが足りないような、なんていうのかな~。
この答えは、子供の成長と共に見えてくる「カケラ」なのかもしれへん。
 
> 療育は必要だと思う。
> 親が子どもにできることは限られているのだから。
 
うん、「療育=経験」とも取れるけど、(それが成功体験でも失敗体験でも
確かに、それ以外に理解しやすく=外界との接触面が広がる ってのかな?
そういった面もあって、そこを突破口にするしかない。
 
問われた順が違うと混乱するのは、
日常的に 「いくつ?」「ナンボ?」「お年は?」とかね、モノの数を問うときに
色んな言葉でやり取りすると、少しは減ったよ。
成長過程がゆっくりなら、これらはある一定の発達(本人なりに を遂げた時、
可能になる事なんやろ、と思ってる。
けど、「緩和」させていこう、と思うから、多くの経験=知識と実践 を
マッチングさせるしかない。
 
・・・周りなんて、アレコレ勝手に言うもんや。
ほっときや。
情報が親とちゃうで、いろどりさんが「親」やねんて。
ボチボチ、いこ!

ママ | URL | 2009年09月04日(Fri)11:22 [EDIT]


支援校に入学せざるを得ない立場の親からブログを拝見させていただくと、嫌味に聞こえます。

| URL | 2009年09月07日(Mon)20:18 [EDIT]


Re: 名無しさん

> 支援校に入学せざるを得ない立場の親からブログを拝見させていただくと、嫌味に聞こえます。

普通校に入学せざるを得ない立場の親からブログを書いていますので、妬みそうです。

ママ | URL | 2009年09月08日(Tue)22:17 [EDIT]


こんにちは!
お久しぶりです^^
いつもこっそり覗かせてもらっています。

まずは検査お疲れ様でした。
ママさんのブログにはいつも勇気をもらっています。
丁度今私が『診断』という決断を迫られています。
3才を過ぎ、診断なんてしなくても今のままでもいいのでは??と思い出した矢先でした。
同じグループでは一番小さいはずの息子が唯一『診断』の話をされました。
強制ではない、けれど息子に関してはこれからのことを考えていく方がいいと思う。
遅くても就学前までには受ける子が多いので、一度考えて見てください、と。
あの状況で息子にこの話をされた理由はなんとなくわかります。
きっといつかは受けたほうがいい。
宙ぶらりんに慣れて宙ぶらりんが心地よくても、息子のこれからにとってはとても無責任なこと。
そう理解していても診断をためらう自分がいるのがとても情けないです。
診断名を改めて言われることに怯えています。

しかしこの記事を読ませていただいて、息子のことをきちんと受けとめるには必要なんだろうな。
そう思うようになりました。


>可能性を切り拓く手立てと、手段と道筋を。
>息子に合った、息子に必要な学びと選択肢を、まず私が探らなければ。

『これから』に必要なことはこれなんですよね。
その為に必要なことは親はしなければならない。
ちょっと揺らいだ気持ちが落ち着きそうです。
正直療育を始めて半年、以前よりも大幅に伸びてあわよくば卒業できる日がきたり…と、過度の期待をしてしまっていました。
実際は全く逆で、未だにママと言えない息子が目の前にいるわけです。
それでショックを受けて足を止めて…。
自分はまだまだですね(;´▽`lllA``
頑張ります!

tanihime | URL | 2009年09月10日(Thu)13:36 [EDIT]


tanihimeさん

こんにちは。
  
> 宙ぶらりんに慣れて宙ぶらりんが心地よくても、息子のこれからにとってはとても無責任なこと。
> そう理解していても診断をためらう自分がいるのがとても情けないです。
> 診断名を改めて言われることに怯えています。
 
そうですね、怯えるって気持ちとてもよく分かります。
私は今回の診断で、「あの頃の診断と重みが違う」と感じられ、息子の「困った気持ち」を
改めて、全身全霊で受け止める準備をしなくては・・・、と。
だけど、その気持ちはあっても、現実は難しくて・・・。
特性は小さな頃からあったものの、幼稚園の集団だと
「え?あのコもそれっぽいけど、お母さん、知ってるのかな?」
「あー、このコも思いッきりそれの傾向出てるけど、全く、親は気付いてない」
なんてね、そういったケースを目にするたびに、
「このまま・・・診断名なんて言わずに集団に紛れさせてしまえば、
 ちょっと変わった子なんて昔から居たんだから・・・」 なんてね。
 
バカ親の首がムクムク・・・ってねー、(苦笑
だけど、それは息子の「困った気持ち」に蓋をしてしまうことになる。
私が息子の困った気持ち、助けて欲しい気持ちを、見て見ぬフリをする事になる、と。
 
診断名ってね、確かに「レッテル貼り」だけど、それはぶっちゃけカテ分けにしか
過ぎない。その特性一つ一つは、親が診断名に沿って、子供を見極めなくちゃ、
実際の支援や、助けになんてならへんよ。
ウチは診断名あっても、療育手帳は無理やから、LDがあっても、(そういった特徴アリアリ
多分、独学で親が日常、勉強、全てをサポートせな難しいやろ。
 
特性を明確にせず、周囲にも分からないまま大きくする事は可能やで。
軽度であればあるほどに、な? 
でも、息子をみてると確かに「ああ、今、困ってんなー」って思える場面も多くて。
せやから、サポートする私が、育てる私自身が、より息子を把握したいために、
その特性を特徴を見極めるための発達テストで、結果やねん。
確かに、免罪符って気持ちもあったよ、「この子がこうなのは、私の躾とちゃうねん」って。
誰に言うのでもなく、自分への言い訳で慰めって感じかな。
せやけど、一番はやっぱり、息子を育てるのには、息子を知りたいって気持ち。 
なんつーか、診断があるって事で、普通の育児書に、もう一冊、
教科書が増えたかな、って感じや。(笑

> 正直療育を始めて半年、以前よりも大幅に伸びてあわよくば卒業できる日がきたり…と、過度の期待をしてしまっていました。
> 実際は全く逆で、未だにママと言えない息子が目の前にいるわけです。
> それでショックを受けて足を止めて…。
 
ママってな、言わなくても、心では、言ってんねん。
ママが大好き、ママが一番、ママ、ママ、って。
それが言葉に出しにくい子供やねん、そういう特性の子供なダケやねん。
せやからね、「言えない」だけやねん、言いたいねんけど、言えないねん。
それを言わせてやれる手立てがもしかしたら、診断の中に、そこから知る、手立ての
何かにあるかもしれへんやろ?
例え、生涯、言えない特性を持っていたとしても、子供の”助けてのサイン”を知る
手掛かりになるかもしれへん。その助けてのサインは、ママにしか通じないモノかも
しれへんやろ?
それを知って助けてやれるこそが、子供にとって唯一無二の「ママの証」とちゃうかな?
 
一緒に、頑張ろうで。
私ら、誰になんと言われようとも、大事な我が子のたった一人の”ママ”やねんから、なっ!

ママ | URL | 2009年09月24日(Thu)11:38 [EDIT]


 

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