愛ダケじゃ、育たない。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

行政が違えば、恩恵も違う 2

自分の子供の”障害”に最初から寛容を示せる親が居るハズはなく、
迷いと不安と、そして期待を交差させて、”障害児の親”である理解と納得が可能になる。
そしてやはり。
 
息子をみて、周囲の保護者の方々をみて思うのは、
幼児の間に(5歳程度まで それらの気付きと支援を、親が理解し実践しておいた方が、
後々の問題対処、解決、が早いように思われる。
(幼児期に限らず成長と共に常に問題も変化するが、その速度に付いていき易い。

 
早期の気付きと支援がない場合、その子供達の多くは、 
問題を抱えたまま、学区内の公立の小学校へと入学する。
(座って先生の話も聞けない状態なら、私立受験は困難かと思われる
そして、授業中に一人が立ってウロウロし始めると、他の子供達も、それにつられ始める。
先生の注意や促しは耳に入らず、反社会的な傾向を見せ始める子供なら尚更。
親の気付きも理解もないまま、”叱られて、または叩かれて、を躾とされて”いる子供は、
叱られなければ、または叩かれなければ指示は入らない。
 
学級崩壊はアタリマエに思えてくる。
もちろん、発達障害を抱えている子どもでなくとも、
つられ易い、多動傾向がある、といった”傾向”のままの子供達も多く、
その多くは、学年が上がるにつれ、落ち着きを見せ始める、とも言うが・・・。
要は、学年があがるまで落ち着けないのだ
 
発達障害児を育てている親として、の理想論だが。
なぜ、カムアウトをしないのか。
なぜ、我が子の困った気持ちに気付けないのか。
なぜ、気軽に相談に行けないのか。
 
例えば。
3歳児健診の際に、発達指数として”IQ”での括りに拘らない結果があったとして。
A君は、工作が得意。
B君は、模写が得意。
C君は、記憶能力が高い。
などといった、子供の得手能力を高く評価し、それ相応の、その能力を
開花させるための専門学校が、普及してしていたらどうだろう。
現実に関連記事、書籍を拝読すると、我が子の発達障害を、
支援、理解しておられる親御さんの多くが、
「得意とする分野を伸ばして」だとか「既成の枠に拘らない子育て」と書かれている。
それは、支援校といったIQでの括りではなく、療育で必要とされる子供本人の、
自尊感情や達成感に留まらず、切実な就学問題や就労、社会的自立に繋がっており、
支援校に入学出来ない子供達は、いかにオーダーメイドの支援が必要であっても、
個人別の学習支援は受けにくく、通級ともなれば、”区別という差別”が生まれる日常、
学校生活を懸念しての対策と得意とされる何かによっての、”脆い面への盾”だと思われる。
 
「ウチの子、3歳の健診で言語能力がとても高い、って判定が出て、
 実は幼稚園じゃなく、○○専門校への案内が来てるの」 だとか。
「就学前健診で、数概念の能力が12歳児レベルで・・・、だから、
 そちらの専門校へ転入させることにしたの」 とか。
「絵だけはね~、何時間描いていても集中出来るのよ~、
 だから、通学に1時間かかるけど、○○へ通うのよ」など。 
幼い頃から、その独特の能力を (文系であっても理系であっても
開花させるべく、いわゆる特殊能力?を磨く専門校だ。
全体の発達指数が100アタリだから、定型発達の範疇が云々カンヌンではなく。
この箇所の分野が突出しているからこそ、入学が許される学校
その学校で、より理解しやすい手掛かりの個別支援を受けながら、苦手箇所、
特性をコントロールしながら、自己肯定を常とし、努力する(結果が出なくとも
経過を体験し、それらを就労へと導く。
 
私達は天才の種を育てているのかも、しれない。
そう思いながらの育児は、どんなに困難であっても決して卑屈にもならず、
閉塞感にも苛まれず、孤立する事もない。虐待も少ないのではないか、と思う。
 
「今」の困った気持ちにだけ焦点を当てれば、○○が苦手です、○○の数値が低い、
といった、底上げすることを優先した日常改善を、早期介入の取っ掛かりとし、
療育を始める親が多いだろう。
が、それでは親の自己否定感と、子の対する余裕も失われガチだ。
長期的に考えれば、得意な分野こそを伸ばし、最終的にはそれらを、
私達、親が逝った後の生活に活かせる”個別支援”こそが最重要であろう。
 
現実には。
今の日本にそういった幼少からの支援機関は皆無で。
必要な支援すらマトモに受けられず、本来の能力以下の通知表を手に、
学期末、「また叱られる・・・」なんて思いながら、トボトボ歩いて帰宅するのが関の山。
トボトボ歩くなら、まだマシで。
通知表すら学校に忘れ、出された宿題すら理解出来ておらず、
明日持ってくる物なんてドコ吹く風の如く、視界に入った目先に興味を奪われる日々。
 
社会に出て、彼らは。
どうやって明日のゴハンを調達するのだろうか。
そして私達、親は。
どうやって彼らに、その本来の能力を活かし生きる術へと導けるのか。
 
行政が違えば、恩恵も違う、未来も違う。
 
住む場所がいかに違えど、子供たちの”困った気持ち”は全国共通だろうに。
現行の行政そのものが与える恩恵では、子にも足らず親にも足らない。
「ちょっと違う、変わった子」の間引きから「天才児の種」を育てる行政へ
早めに変革して欲しいと、切に願っている。
 


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害・自閉症へ 最後まで読んで下さってありがとうございます。
 

関連記事
スポンサーサイト

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

同感です

こんにちは。本当に同感です。ウチは大阪ですが堺市で政令指定都市になったばかり・・・堺は本当に施設が少ないんです・・・児童デイも2件くらい。それも言葉のあるウチの子にはどこも合わないと思うと言われ・・・
じゃあ、何処にいけばいいの?って感じです。
周りは来年からの幼稚園3年保育でバタバタしています。
今行く療育教室のお友達も言葉がある子、ない子、色々
いますがうちの子タイプは本当にいなくて・・・娘だけ来年度の進路が決まっていません・・・
役所に聞くと前は(政令都市になる前)大阪の施設利用が可能だったんですけど・・・と言われた・・・

なんらかのフォローが必要だと言うといて行くところがないって・・・あまりにもお粗末な返事だと思いませんか?

書く自治体によって、相応のケアが受けれたり受けれなかったり・・・それはおかしいですよね・・・

私もママと同じく早急な対応を願います。



いろどりママ | URL | 2009年09月30日(Wed)08:24 [EDIT]


いろどりママさん

そう、本当に”じゃ、どこに頼ればいいの?”の思いです。
こちらは小学校に入ると、やはり児童ディの内容も変わってきて、療育と教育の狭間で迷います。
 
”支援してあげて”って言われ、また逆に”軽度だから”と門を閉ざされる。
発達障害がある程度の知名度?を伴い、認知されているにも関わらず、
小学校の普通クラスでは、よく聞く”担任の先生次第”って言葉も同じです。
支援しようと関心を持って取り組まれている先生も大勢いると思われますが、
それ以上に、毎年診断を下される子供達は増えているワケで・・・。
 
>うちの子タイプは本当にいなくて・・・娘だけ来年度の進路が決まっていません・・・
 
さぞ、ご心配な事でしょう。
ですが、必ず道があるはずです。
困難も多々あると思われますが、乗り越えて、私達も”親”になんねんなー、なんて。
ぶつくさ言いながら、私も頑張るつもりです。

自治体によって異なるという話は、カウンセラーの質が異なる、といった話と同じやと
思っていて、予算の都合もあるだろうし、諦めも必要か、なんて思ってもいますが、
最低限、診断のある子供達には、”必要な支援”を教育の場にオーダー可能な環境を
公平に作って頂きたいなあ、と。
 
ほんっとーに、切実な願いですよね!

ママ | URL | 2009年10月08日(Thu)21:28 [EDIT]


 

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。