愛ダケじゃ、育たない。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

全く、理解していない

夫の専門機関での聞き取り全てが終了した。
 
もう、次は専門のクリニックに自分で出向き、問題の解決を図るしかないのだが。
 

本人は、全く、他人事で。
クリニックの電話番号すら、電話帳すら、めくらない。
 
夫本人は、全く不都合を感じてないのだろうが、相方となる、コチラは。
相当な、負担を強いられている。
 
だからといって、離婚を考える話ではないが、息子の話をするにしても、通じなさ過ぎる。
 
 
勉強不足だ、と言ってしまえば事は簡単だけれど、そもそも夫は。
その、障碍そのものに対しての、理解もない。
 
 
息子が通う育児サークルで出来た、友人に関しては。
 
「そのお友達と付き合っていて、息子の ”妨げ”になるような事はないのか」 と。
 
呆れてモノが言えない。
憤怒とも激昂とも、違う、だけど、熱くて大きな塊の思いが、こみ上げた。
 
 
「それって、私達の息子が他の人に、これから言われる、いや、もうすでに
 言われてるかもしれない、言葉だと思わないの?」 と。
 
そう思う浅はかさが、障碍のせいだろうか、とも思われる。
けれど、本人は全く、苦痛を感じずに居られる。
 
それこそが、コミュニケーション障害。
この言葉こそが、社会性の障害であるのに、それらに全く、気付かない。
 
 
夫は慌てて。
「いや、妨げって言うか、問題になる、と言うか・・・」 と言い訳をする。
 
けど、それらは言い訳であって、問題だろうが、妨げだろうが、意味するところは同じ。
 
 
この人は、このまま。
息子が自分の妨げになる、と、いつか感じる日が、思う日が来る人なのかもしれない、と。
 
妻として、ではなく、母親として、実感して覚悟した。

関連記事
スポンサーサイト

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

 

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。