愛ダケじゃ、育たない。

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ご一読下さい

子育ての最中の方なら、耳によくするだろう「発達障害」
テレビをつけても、ラジオでも育児雑誌でも取り上げられている。
 
けれど、その認知度は「診断されなかった」または、「診断を拒否」している人々の間で。
どの程度の認知で、どの程度の理解で、そして。
 
実際の世間で、周囲で、どの程度の「受け入れ」なのだろう、と。 
専門知識は、それに沿ったブログで拝読して頂くとして、ここでは。
 
親の気持ち、息子の気持ち、そして、何より。
 
愛だけで育てにくい子供を        それでも。
親の愛が基本で育てなきゃなんない、って事実を、書きたいと思います。
 


 
1歳3ヶ月で歩き始めた息子の様子は、公園の同世代のお友達の、それらと違っていた。 
これがきっかけとなって、差異を感じながらも、打ち消す不安感と、調べずにいられない焦燥。
 
多くを犠牲にしたつもりもなく、これからもきっと、犠牲だとか重荷だとかに思わずに、
「障害」ある息子を受け容れ続けたい。
 
けれど、世間の壁は、思ったより高く、自閉症である確率が何パーセントだとか、
男の子と女の子だと、何割の割合で出生、だとか、高齢出産だと出現率が高い、だとか。
 
そういった統計は我が子が「そうだった」なら、粉々で授かった途端に、意味をなさない。
100パーセントで降りかかる火の粉な日常を、「選ばずして選ばされた」のが、実感である。

 
発達障害だと、診断された人々の中には。
「晴天の霹靂」だとか、「予想が的中した」だとか親の立場でそれ相応の履歴もあろう。
 
もしかして・・・と予測しながらも、診断を受けない、診断名を付けない選択をした親も。
それぞれの環境や、考えによっての違いであろう。
 
 
 
けれど、どの子も、気付かずに 「助けを求めてる」
 
 
 
入園を控えての診断で、加配の為に診断名をもらい、園側に書類を提出した。
けれど、それらは、今の息子に「それが必要だ」と感じたから。
 
 
障害名をもらったのは、もっと世間に定義を広めて理解を・・・だとか。
少しでも息子の将来や、展望に見通しが効く様に・・・だなんて、思っていない。
 
 
痛そうな顔をしていても、痛い、の一言が言えない息子が可哀想で。
 
怖くても、病院の待合室で、教えた通りの手順で待つ息子が哀れで。
 
それでも、小さな花を見て、きれいだねえ、と、私が言う通りに言うから。
 
二人で見た夕陽を、いつまでも覚えていて、夕焼け、と言いながら空を見上げるから。
 
 
「ママ、助けて」と、息子が言うのが、聞こえた気がしたから。
 
 
我が子としての息子を、ただ我が子として愛し慈しむだけでは、息子には足りない。
 
1番知っているからこそ、1番身近だからこそ、1番愛しているからこそ。
 
我が子の事だからこそ、知識も情報も欲して、指導も支援もやりたい。 
 
 
  
だから、母親としての私は。
 
愛してばかりじゃいられない、泣いてばかりでも、いられない。
 
愛だけでは育てにくい子供を、「愛」だけで、育てようとしている。
 
 


 

 

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