愛ダケじゃ、育たない。

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考えていても・・・

 
息子が診断される前から、薄々気付いていて。
ある程度の書物を読み、ネットで検索し、入門書と言われる書籍を読んだ。
 
そして、結論は。

 
個性と障害の境なんて、見つからないって答えだった。
 
三つ組があれば、どうだとか、診断名があればどうだ、といった簡単な話ではなく。
子ども本人が、それを苦痛に感じているか否か、が判断基準で、それは親にしか判断出来ない。
 
勿論、「度合いの差」は確かに存在していて、それは選択が分かれる。
 
ヒトツは、親が、その子を育てる過程で、「苦痛」を感じているかどうか、の点。
フタツめは、子どもがサインを出し続けているか、どうか、の点。
 
これは、親が、子どもを客観的に観察出来ているか、どうかで判定も分かれる。
 
 
私は息子を障害者にしたい訳ではなく、その障害を、息子の持っている現時点での能力(IQ
だとか、療育、教育を合わせた可能性で、それらを緩和、または融合させたい、と思っている。
 
事実、公園でスーパーで、旅行先で。
かなりの人数の「発達障害アリアリ」な子供達を見掛ける事が、よくある。
それも、日常的に・・・。
 
けれど、親の対応をみると、全く気付いてないであろう、指示の出し方、声掛け・・・。
挙句、親の言う事を聞かないから、と言って、パチン! である。
 
 
こんな言葉が無かった昔は、クラスに一人、二人は居た子。
落ち着きが無く、先生の言う事が聞けない、忘れ物をよくする・・・といった、少し問題のある子。 
優等生では決してない、だけど、劣等生ってレッテルだけでも、ない。
 
息子には将来、そういった子どもになって欲しい、と思っている。
クラスの中で浮くこともなければ、沈んだままでもない。
 
そう、いわゆる、フツーの子。
 
現代では難しいかもしれないが、早期発見、早期介入のメリットは、そこにある、と思っている。
 
分かり易い指示の出し方で、理解し易く、判断し易い状況の提供で、自己肯定感情を高め、
定型発達の子どもより、詳細で多大なデータの蓄積と、引き出しを作る事で、応用に備える。
 
 
診断を希望し、詳細が見えたからこそ、 「今」 を確実に積み重ねられ、未来に備えられる。 
知的な分野では、いつか逆転の時が来るかもしれない、としても。
 
「発達」の手助けが出来る、今は。
発達障害なんて超えられる、と思っているし、社会性も 「情緒」 で育つ、と思っている。
 
 
そして、産んだ限りには。
それを、私の生涯をかけて続けよう、と思う。
 
 


 

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