愛ダケじゃ、育たない。

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ごめんなさいの作用と反作用

「ごめんなさい」 と 「ありがとう」の使い方。
大人でも微妙に間違ってると感じるけれど。
 
幼児の今の「ごめんなさい」を成長別に考える。

「ごめんなさい」=「ごめんなさいが言えた自分を尊敬」=「幼稚園」程度。
 
「ごめんなさい」=「言わない為には、自分がどうする?」=「小学校」から。
 
「ごめんなさい」=「相手だけの問題か考えて」=「中学校」で完了。
 
「ごめんなさい」=「互いに言わない為に、どうする?」=「高校」やん?
 
「ごめんなさい」=「相手に言わせないように、自身も言わないように、
            互いを振り返り、気を遣う」=社会性&暗黙のルール。
 
「ごめんなさい」 が 「すみません」 に変換されて口癖になっている人を見掛ける。
確かに便利な、その言葉を聞くとき、子供は何を思うだろうか。
 
「ごめん」の言葉が圧倒的に少ない、我が家。
争いや諍いが少ないのではなく、口論となっても、互いに折れない私達両親。
息子はそこから何を学ぶのだろう。
 
息子は今はまだ、簡単に「ごめんなさい」が言える時期。
だって~、でも~、等とたまに反論やら本人なりの理由を口にはするけれど、
「ちゃうよ、ママ、痛かったねんで? そしたらまず、ごめんなさい やろ?」 と諭す。
だって~、でも~、が出ない状況下 (ママは鬼の形相だとか であるなら、
「息子ちゃんが悪い、悪かった、もうしません、ごめんなさい・・・ごめんなさい」 と。
滝の如く、謝罪を続ける。
 
「ごめんなさい」の言葉は確かに出ているけど、謝罪は。
自分が悪い事をした、との認識から発せられる言葉であって、
誰かが怖いから・怒られるのを止めるために・等といった自己都合から発する言葉じゃない。 
まして世界が広がれば、将来的に社会に出るならば、その言葉は。
  
本人の信頼性、いわゆる人徳、人当たりが良いだとか、付き合い易いなどの、
人間性に繋がり、会社や世間においても、より良い交互性ある関わりへと続く。
誰だって、口先だけでいつも結果は謝ってばかり・・・なんて相手を信用しないだろうし、
逆に、相手を謝らせてばかり・・・なんて人も、イヤやんか。
対人関係で、「信用しにくい、されにくい」といった傾向は、そのまま周囲との摩擦だろうし、
本人にもストレス、転職にも繋がり易く、それは生活の不安定要素だろう。
 
無論、ありがとうの言葉も同等だと思うが、これは、
アクション=頂き物をする・得をする・等といった分かり易い作用と因果関係があり、
相手から発せられた言葉で、自己肯定が高まる場合が多く、習慣付けしやすい。
将来的には、感謝のバリエーション (語彙を豊富に持つ を考える程度で、身につく。
 
「相手に言わせないよう、また自身も言わないですむように・・・」 なんて関わりを
息子は、これから集団の中で身に付けるワケだが、「ごめんなさい」を使う場面は、
自閉症児が苦手とする、「失敗例の中で」が圧倒的だろう。
失敗から学べない息子は、ごめんなさいを使う場面で、果たして。
自己肯定と自尊感情を身につけ、それらを成功例へと発展させ、学びを得れるのか、と。
 
「口先だけの人」 というのを見掛けるが、そういった性格の人は多分、
「頭の中のイメージを言葉にするのが、簡単な人」で「実行となると優先順位が付けにくい」
のだろうな、と思っているけど、この場合は消去法を使うと実行速度が上がる。
では、反対に。
「無言実行な人」とは。
「頭の中のイメージを言葉にするのは苦手だが、抽象的な事案も具現化する力」がある。
実行速度(周囲とのバランス 等は言葉でなくとも、伝達方法はある。
 
息子は、間違いなく前者タイプ。
アイデアで勝負のタイプだろうけど、それには処理速度 (いわゆるIQの高さ が必要。
となると・・・、やっぱり 「ごめんなさい」の大切さと、内容、意味を教えるべきやなあ。
反応遊びの延長としての謝罪では、本人が困る時が来るだろう。
「ごめんなさい」って言ったやんか! なんて、幼稚園レベルのくだらない口論を、
社会人になってまでも、ストレス要因として抱えたくはなかろう。
 
 
やってはいけない事、それは謝っても償い切れない事が。
世の中には多く存在しているって、意味から教えるしかなさそうだ。
 
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