愛ダケじゃ、育たない。

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カウンセリング支援の限界

毎月決まった日時、園にはカウンセラーが来る。
いわゆる「育てにくい子」を育てている親との面談。
また、対応策を共に考えましょう、が名目。
 
親からの情報を仕入れ 「子供の育てにくさ」から障害の有無を判断するなら、
このシステムは、とても画期的。
そう、園側にとって、とても良いシステムだと思う。
 
では、親にとっては?
 
 

 
 

私は息子の特性について、ある程度の知識と実践を持ち、カウンセラーにアポを取った。

それは、息子の担任が。
「○○といった問題行動が多くなって、クラス運営が難しい、対応策を・・・」等の場面でなら
活躍をみせるであろうが、「不安を抱える親に対してのカウンセリング(親側の期待」とは、 
全く異なる時間であった。
 
息子の通っている幼稚園は、療育機関ではなく、全く普通の「幼稚園」
それを選んだのは、息子の障害がいわゆる”軽度”である事、そして。
区役所の先生が、「風通しの良い園」であると、それとなく教えて下さったから。
風通しとは、
「公的機関からの対応・指示が入れ易く、また、発達障害の子どもに対し理解がある」
決して、特定支援指定園などではない、が。
障害のある子も積極的に受け容れ、尚且つ、前向きな保育を行っている、というモノ。
 
アポを取り、指定の時間に指定された一室で、カウンセラーとの懇談。
内容は、最近困っている行動、希望する対応策、行事での配慮方法、等。
一時間程度だが、親は我が子を少しでも理解してもらおうと、必死。
 
けれど、肝心のカウンセラーは。
 
「お母さん、そんなに我が子を、障害児にしないで下さい」 であった。
その一言は、誰の助言より重く、目の前の頼みの綱をブッツリと切られた感じ。
 
無論、良い言い方の解釈とすれば、
「そんなに心配し過ぎなくても大丈夫」 であろうし、
「お母さん、もう少しゆっくり考えましょう」 でもいい。
 
けれど、我が子を預ける、それも集団生活が初めての子供。
そう、親も初経験の幼稚園、相手は預け先の幼稚園カウンセラー。
「もしかしたら、私の一言で、我が子が色メガネでみられないかしら?」だとか。
「こんな事を言うなんて、我が子の不利にならないかしら?」なんてね、思ってる親に。
 
だた、「助けて」ダケを言うためだけに、カウンセラーのアポを取ったんじゃない。
私が助けて欲しいなら、それ相応の要救援信号の出し方は知ってる。

それらを知って尚。
子どもの日常を、月に一度見回るか、見回らないか程度の知識と実績で
「そんなに、障害児にしないで」 だなんて。
 
障害のある子が、どの程度のレベルで保育を受けられるのか、(園側の対応として
特性に対して、どの程度の配慮をもらえるのか、それらを日常のヒトコマとして、把握して
おきたくて、多くを尋ね過ぎたのかも、しれない。
けれど、園生活は子どもの一日にとても大きい比重を持つ。
だからこそ、こういった特性があります、こんなこだわりがあります、と。
懸命に慎重に、持参したデータファイルを開き説明を続ける母親に。
 
まるで、私が我が子を、「障害児」だと、説明したくて、しているかの様に。
 
彼女から得られた回答の一部分は。
「園側に障害児のデータ作成を・・・と、提案しているので、お母さん、強力して下さい」 と。
終始、ご自身の過去の経験の披露話であった。
 
披露話の中に、「息子の特性を緩和する手掛かりがあるかも」 なんて期待して
延々と、2時間は聞き続けたが、一切、それらは見つけられず。
理解を得れると、期待の大きかった分、不安は増し、逆に。
 
「ああやっぱり、我が子の事は、私が何をおいても優先して、担っていくしかないのだ」と、
カウンセリングの時間前の期待は砕かれ、暗色の責任感と疲労感だけを背負わされた。
 
無論、我が息子のためだけに訪園されるワケではない。
他の「気になるお子さん」の為にも、時間を割かれ、相談にのっておられるのだと思う、が。
カウンセラーと言うくらいなら特性の説明など、今更必要ないだろう、と、
集団生活のためだけに拘らず、日常の広範囲について、説明と疑問を投げかけたからなのか。
 
部屋を出る最後の最後に、頂いた言葉は。
「ま、気楽にね、また次の相談日にお会いしましょう」 であった。
次の相談日なんて、一ヶ月の先、それもアポが希望時間に取れるかどうかも、分からず。
 
・・・気楽にね、なんて言葉を。
どうして、必死に、懸命に、涙ながらに訴える親に言えるのだろうか。
なぜ、経験の披露話を元に、慰めでも一時の気休めでもいい、アドバイスをしないのか。
簡単に、気楽になんて、言葉を使えるのか。
 
彼女のカウンセリングは傾聴すらマトモに出来ておらず、不快感と不信感だけが残った。
 
一緒に汗も涙も流す気がないなら。
ハナから「親のカウンセリング」なんて出来ない、と痛感した時間であった。
 
カウンセリング支援、とは。
現場で汗し涙する親の気持ちに寄り添いながらも、客観的に判断する技術が必要だと思う。
客観的な判断とは当然、該当児に対しての観察時間も必要だ。
いくら豊富な経験があったとしても、どんな冷静さを持ち合わせていたとしても。
 
「助けて欲しい」の切実な言葉に。
「大袈裟だなあ、軽度じゃないの」なんて感想を例え持っていたとしても。
相談者に 「ま、気楽にね」 は、不適切であると、知る事が最初だろう。
 
自閉傾向、こだわり、特質性を「困っている事」として、限られた時間内で続ける”母親”に。 
 
「そんなに障害児扱いしないで」 なんて言葉は。
迷う母親を、苦しむ母親を、もっと苦しめる言葉だと知って欲しい。
なぜなら。
 
子どもの立場に立って代弁するより先に。
目の前の母親にこそ、手を差し伸べて欲しいから。
その苦しさから故に、手を上げたり、叱咤したり、孤立し悩み続ける母親に。
せめて、「私はあなたの味方です」と言って欲しいから。
 
あれから、一度も彼女のカウンセリングは受けていない。
そして、受けない事で、安定した私がいる。
何があっても、”私”が息子を守ろう、何があっても”私”は逃げない、と。
”私”が、”私”を奮い立たせ、”私”が、”私”を客観的に見る事で。
 
”私”は、常に”私の味方”で居られる、そして。
”私こそ”が、息子の一番の理解者であり、味方としての日常を経ていられる。
 
反面教師ではないが、彼女にはそういった意味での感謝はある。
けれど、あの時の言葉から、彼女は私の味方ではない、と知り。
信頼はもとより尊敬も一切なく、彼女が息子に接するのでさえ、嫌悪を感じる。
 
 
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コメント


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ピントのずれた人ですね

 私自身の経験や見聞ではありませんが、概して民間の療育機関に有能で熱心な人が多く、行政側は・・・という意見をよく見かけます。
 それにしても、心配でたまらない親に対して自分の参考にならない経験談しか語らないってのはやる気が無いのか、無能なのかどちらかですよね(両方かも)。
 「我が子を障害児にしないで下さい」って言葉、心底子供を支援しようという熱意がある人に言われれば心に響きますが、他人事みたいに言われたくないですよね。現に困ってるんだから。
そのための発達障害者支援法でしょうが!
自治体が乳幼児健診やらそこらで子供をスポイルしといて、不安な親に「障害児にしないで」って、行政側が言う台詞や無いですわな。
 逆に子供の障害を認めないで、適切な対応が出来ていない親には、一体何て言うんでしょうね、その人
 「お母さんは我が子を障害児にしないからすばらしいですね」とか(笑)?まさかね。

なかさん☆ | URL | 2008年10月07日(Tue)02:44 [EDIT]


お久しぶりです。

普段の様子見てない人に何がわかるのさって言いたいです。

確かに、定型の方が発達障害の子を抱える親に「『障害』って言って、親の責任を放棄してる」って言ってる所とか間近でみたことありますけど、このカウンセラーの言葉は・・・。

私は『療育で母親に勝てる者はいない』って思ってます。
いつも様子を見ている母親には、支援者も勝てないと思います。

奈良人(ならんど) | URL | 2008年10月08日(Wed)22:29 [EDIT]


なかさん☆

そう!まさく、そうなんですよね。
じゃ、障害のある子だと気付かず育ててる親には、一体何て言うんだろう・・と。
 
園側のシステムとしてその為の「育てにくい子を育ててる親」のカウンセリングじゃないの?ってね。
「障害が分かってる=親が楽になる」ダケの図式じゃないんやから、って。世界でも指折りの乳幼児健診のシステムを持つ国だからこそ、早期発見、介入が可能なのに、これじゃ、親の不安を煽るだけ煽っておいて、受け皿ないですから~って言ってるのと同じやんね。
 
せめて現場に近い位置で働く人達にも意識を高く持って欲しいな、と。向上心を持ち続け使命感を忘れて欲しくないなあ、と、思って。

ママ | URL | 2008年10月10日(Fri)09:48 [EDIT]


奈良人さん

こちらこそご無沙汰しております~。
コメントありがとう!!
 
そう、普段の様子にこそ「軽度の特性」も「療育のヒント」も隠されているのに、それを軽視し過ぎの発言で、なんだか、一生懸命にやってる親が何と言うか・・・「正直モノはバカをみる」みたいな感覚に襲われた、感じ? 実際に理解していても「見て納得」してない相手に伝わるよう必死なワケですから、相手から見れば「子供のいいトコロは見てない親」に捉えられるかもしれないんだけど、内心「いや、いいトコは一晩かかっても話し尽きないねん、けど、今アンタにはコレを知って欲しいねん」みたいなね、カウンセリングって名前に縋ってた部分も私の中にあったのかもしれません。
 
・・・って、でも縋りたくなりますよねえ!?(笑
 
奈良人さんのコメ、最後の二行にとても慰められて、本当の意味での「支援」をしてもらった、と思っています。
ありがとう!

ママ | URL | 2008年10月10日(Fri)09:53 [EDIT]


 

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